トゥルルルル…と、電話の音。
受話器を取ると「えっと…物を落としたんです。それで…フローリングが…凹んでしまって…」とがっかりした声。
話していくうちに、声がだんだん小さくなる。
物を落とした、これはもう床職人への相談あるあるのベスト10に入るパターンだ。
引っ越しや模様替え、掃除中のうっかり…年間で何十件もこの手の相談が入る。
頭の中でその凹みを想像しながら、「さて、今回はどんな形で私を待ち受けているかな?」と、道具の準備を頭の中で描く。
削れる床か?メンテナンスフリーの床か?
電話口でまず確認するのは「擦り傷」か「打痕傷」か?そしてどれくらい傷があるのか?
この違いで処置は大きく変わる。
擦り傷なら、場合によってはワックスでサッと目立たなくできる。
ただし落とし穴もある。
メンテナンスフリー仕様の床にワックスをかけようものなら…はい、アウト。
ワックスが弾かれてまだら模様になり、下手すれば黒ずみまで作ってしまう。
おまけに落とそうとしても簡単には取れない。
だからこそ、この判断が第一関門だ。
お客様にとっては単なる「傷」でも、職人の目には処置の分かれ道として真剣勝負の始まりなのだ。
まずは現状を知りたいので写真とか送れますか?
「ではまず、写真を送っていただけますか?」とお願いする。
凹みの深さ、広がり、周囲の木目…それらは写真だけでも結構な情報をくれる。
届くまでの間、私は机横の工具棚を横目でチラ見。
サンダー、ポリッシャー、リペアキット、色合わせ用のパレット…現場のイメージがじわじわと湧き上がる。
送られてくる画像にきっと、「あぁ、このタイプの凹みか…」「この床ねっ」と安心する自分がいるだろう。
最も恐れているのはフローリングじゃなかった時だっ。シート系では…
そしてその瞬間から、頭の中ではすでに施工手順が始まっている。
1か所ならリぺア!結構な傷が全体にあるなら研磨塗装
写真を確認して後日電話。
「うーん…これは全体的にキズがありますね。リペアでも直せなくはないですが、床全体をきれいにしたいなら研磨塗装がおすすめです。」と提案する。
特にお盆や正月のように家族が集まる前は、「せっかくだからこの機会に」と研磨や上張りを選ばれる方が多い。
床が生まれ変わる瞬間は、部屋全体が一気に明るくなり、空気まで新しくなったように感じるものだ。
お客様の声色からも、「どうせなら新しくしたい」という想いがじわりと伝わってきた。
いかがいたしましょうか?
「さて、どうされますか?」と聞くと、電話の向こうで少し間が空く。
想像しているのだろう、きれいに蘇った床と、その上で過ごす家族の時間を。
リペアで必要最低限の修復をするか、それとも研磨塗装で一気に全体を新しくするか…決断の天秤が揺れているのが声の調子で分かる。
この“間”は、私にとって結構好きな時間だ。
お客様が床の未来を真剣に考えている証だから。
そうですね!では研磨にしたいです。
「そうですね…では研磨でお願いします!」とお客様の声が決まった瞬間、私の中のスイッチが完全に入る。
研磨はリペア以上にドラマチックな変化を生む作業。
作業前と後で床の印象が別物になる。
電話を切った瞬間から、私は道具のチェックリストを頭の中で流し始める。
サンダーはどのタイプか、仕上げは、ポリッシャーのパッドは揃っているか…準備段階からすでにワクワクが止まらない。
2通りのお見積り提出
「了解です。研磨塗装の見積りをお出ししますが、比較用にリペアの見積りも一緒に作っておきますね」と伝える。
お客様は「なるほど、それは助かります」と安堵の声。
こうして選択肢を示すことで、お客様も納得して作業を任せられる。
私は見積書を作りながら、作業後のツヤツヤの床に立つお客様の笑顔を勝手に想像してしまう。
後日、お客様研磨塗装のご依頼。
数日後、「やっぱり研磨塗装で!」とお客様から正式な連絡。
心の中で静かにガッツポーズを決める。
大規模な研磨作業は手間も時間もかかるが、その分仕上がったときの達成感は格別だ。
道具と材料を車に積み込み、いざ現場へ。
まるで試合当日に向かうアスリートの心境のように、現場に向かう。
これが、Aさま邸の床
現場到着。
床を見て、改めて「これはやりがいがあるな…」と呟く。
深いキズ、小さな擦れ跡、そして家具での凹み。
サンダーを手に取り、床の表面を削っていく。
削るたびに木の香りがふわっと立ち上り、下から新しい地肌が現れる。
まるで古い絵画の汚れを少しずつ落としていくような感覚だ。
削りは3回+ポリッシャー
1回目の削りで大きなキズを落とし、2回目で細かい凹凸を均し、3回目で表面を滑らかに整える。
そして仕上げにポリッシャーで磨き上げると…手触りはまるでシルクのよう。
光がスーッと走り、きれいな白木色になってく姿は、何度見ても嬉しくなる。
この工程を丁寧にやるかどうかで、仕上がりの美しさは段違いになる。
この後、オイルを塗って終了だ
研磨が終われば、次はオイル塗装。
刷毛で均一に塗り込むと、木目がさらに際立ち、床全体が生き返る。
オイルが染み込む香りが部屋中に広がり、作業場が一気に“木の家の匂い”になる。
余分なオイルを拭き取り、乾燥させれば完成。
ツヤは抑えめ、でも存在感はしっかり。
お客様が歩くたびに、木の温もりが足裏に伝わるはずだ。
Aさまありがとうございました。
最後にお客様を呼び入れ、「どうでしょう?」と完成した床を見せる。
お客様はしばし無言…そして「すごい…新品みたい」と笑顔がこぼれる。
その瞬間、全ての疲れが吹き飛ぶ。
帰り際、「また困ったらお願いしますね」と言われ、私は「もちろん!」と答える。
現場を後にしながら、次の床との出会いに胸が高鳴っていた。